「イニシエーションスピーチ」(2020/9/3)
荘司史朗会員(2020年7月入会)
NTT 情報ネットワーク総合研究所の荘司です。本日は「イニシエーションスピーチ」のお時間をいただき、誠にありがとうございます。柳原会長、榎本会員からご推薦をいただき、去る7月16日に正式会員としてご承認いただきました。柳原会長、榎本会員、ご推薦いただき誠にありがとうございました。微力ではありますが、ロータリークラブの精神に基づき取り組ませていただきますので、前任の大津同様、親しくお付き合いいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
*名前*
名前は漢字で「荘司 史朗」と書きます。電話などで名前を伝える際、漢字を説明しづらいのが悩みのタネですが、覚えていただければ幸いです。
*居住地履歴*
私は、1967年(昭和42年)に、自営業(家電製品販売店)を営む両親のもと、姉二人の下に、「末っ子・長男」として誕生しました。
未年うまれのA型、かに座です。当時、私の家族は東京都葛飾区の水元公園近くに住んでいたようなのですが、物心つく前に引っ越したため、さすがに記憶はありません。
1971年(昭和46年)に、私が4歳の年に、家族は東京都江戸川区の平井という町に引っ越しました。その後、1996年(平成8年)に、29歳で結婚し実家を出るまでの25年間を平井で過ごしたことになります。現在は、同じ江戸川区内・都営新宿線の船堀駅にほど近い春江町という町に、妻と大学4年生の息子、大学2年生の娘と暮らしております。
*吹奏楽とともに10年間*
1980年(昭和55年)、東京・新宿区の私立・早稲田実業の中学に入学し、高校までの6年間を過ごすことになります。早稲田実業は現在、西国分寺にあり、共学校となっていますが、2001年(平成13年)に移転するまでは、新宿区早稲田鶴巻町にあり、私はその時代に通っておりました。当時は寂しい寂しい男子校でした。クラブ活動は、吹奏楽部を選びました。やはり中学・高校時代に吹奏楽部に所属していた上の姉の影響もあったと思います。楽器は「ユーフォニウム」を担当しました。「ユーフォニウム」という楽器は金管楽器、ラッパの仲間です。ラッパが上に向いた大き目な楽器ですが、チューバほどには大きくありません。主に吹奏楽という編成でしか使われない楽器です。オーケストラでは一般的には使用されません。そんなこともあり、ご存じない方も多いかと思います。同じ金管楽器でもトランペットやホルンは高い音、チューバは低い音ユーフォニウムはトロンボーンとともに中低音という音域を担当します。そして音色は柔らかく豊かで、主旋律(メロディー)、主旋律と絡み合う対旋律(俗に「オブリガード」「裏メロ」などと呼ばれる主旋律以上に目立つ(おいしい)譜形)、低音・伴奏・リズム系など、様々な役割を演じる、吹奏楽においてはとても華やかで重要な楽器なのです。吹奏楽部の活動には夏から秋にかけて吹奏楽コンクールというものが開かれ、そこで上位(金賞)を目指すことが大きな目標のひとつでした。初心者であった初年度を除き、中学2年から高校3年までの5年間で、一段階目の予選から二段階目の東京都大会へ進出できたのが3回。最終段階の全国大会には1回進出することができました。これは高校野球でいえば、甲子園の土を踏めた、といったところでしょうか。ほぼ唯一の自慢です。また甲子園と言えば、私が中学1年で入学したと時を同じくして、高校には荒木大輔という先輩が入学し、硬式野球部に入部しました。ご存じの方もおられるかとは思いますが、1980年(昭和55年)夏から1982年(昭和57年)夏までの夏・春 5期連続の甲子園出場を牽引し卒業後はヤクルトスワローズに入団した超高校級投手でした。そのおかげで吹奏楽部として、地方大会(当時は東東京大会)から甲子園まで、たくさんの試合の応援に参加することができました。吹奏楽をする人の中には、厳しい環境下(屋外、炎天下、試合展開によっては連続した演奏など)での演奏することで「野球応援は演奏技術が荒れる」と考え、それを好まない人もいますが、私は部活の重要な部分であったと考え、非常に楽しく参加していました。そのせいもあって、1986年(昭和61年)早稲田大学に進学すると、迷うことなく応援部吹奏楽団の門を叩きました。応援部は、いわゆる“応援団”とイメージされる学生服姿で“フレーフレー”する人たち「リーダー」、華やかな衣装と演技で競技を盛り上げる「チアリーダー」と「吹奏楽団」とで構成されています。中学・高校でやってきた吹奏楽部の延長とはいえ、「応援部」というちょっと風変わりな集団での学生生活は、まあ特殊と言えば特殊でしたが、吹奏楽がやりたい、スポーツ応援がやりたい、という自分のニーズにはピッタリはまっており、これ以外の選択肢はなかっただろうと今でも思っています。
*職歴*
ほとんど吹奏楽で明け暮れた学生時代を終え、1990年(平成2年)、日本電信電話株式会社(NTT)に入社しました。電電公社から民営化(1985年(昭和60年))されて6年目にあたる年になります。初期配属は東京・文京支店でした。文京区を管轄していて、小石川、千石、千駄木に拠点となる電話局がありました。私の前任の大津さんも文京支店にいて、私が新入社員時代から大変お世話になっておりました。この武蔵野の地で大津さんの後任にあたることになるとは、ご縁とは不思議なものと思っております。その後、日比谷本社、品川の東京支社、1999年(平成11年)のNTT再編成では新宿区初台のNTT東日本本社の間を行ったり来たりしていました。この間、いろいろな業務を担当させていただきましたが、基本は総務、労働(組合対応)、厚生、人事など、事業の裏方分野・部門で勤務してまいりました。2009年 平成21年 4月から2012年 平成24年 6月までの3年3カ月、NTT東日本新潟支店へ単身赴任していました。唯一東京都を離れた期間でした。それまで日本酒はあまり飲んだことがなかったのですが、そのおいしさを体中で覚えさせてもらいました。
*現職・研究所について*
現在は、緑町にありますNTT武蔵野研究開発センタにあります、情報ネットワーク総合研究所に所属しております。NTTの研究所はこの武蔵野のほか、横須賀、厚木、つくば、京阪奈(京都府)などにロケーションを有しており、それら全体の総務・経理に関する責任者の立場で仕事をしております。
*趣味*
趣味は、映画では「スター・ウォーズ」オタクです。映画シリーズのほか、その番外編・サイドストーリーを描いた小説、テレビシリーズのBlu-rayなどを集めて読んだり観たりすることにハマり続けています。また歴史小説や関連本を読み漁ることも大好きで、近頃は日本の古代史がマイブームとなってます。NHK大河ドラマも大好きで、先週末「麒麟がくる」の放送再開は幸せでした。吹奏楽は就職して以来やってなかったのですが、5年ほど前からOB仲間たちと再開して楽しんでいます。コロナ禍で足踏み状態ではありますが、人と一緒にできる貴重な趣味としてこれからも大切にしていきたいと思っています。スポーツは観る専門、するのは苦手です。スポーツ鑑賞の機会がございましたら是非よろしくお願いします。