「イニシエーションスピーチ」(2022/1/20)
中村 文哉会員(2022年10月7日入会)
皆様初めまし武蔵野市で不動産仲介と、管理を行っている株式会社アクセス代表者の中村文哉と申します。昨年9月より伊藤会員、池田会員の推薦をうけ。例会に出席させて頂いておりましたが、10月7日に入会を承認され、本日イニシエーションスピーチの機会を頂きました。誠にありがとうございます。改まった席でのスピーチなどは、今までの人生においては、特に避けたい事項の一つです。不慣れなためお聞き苦しい点など、多々あると思いますが、聞き流しご容赦頂ければ嬉しいです。
まずは私ごとで恐縮ですが自己紹介をさせて頂きたいと思います。私は1956年5月25日に、電力会社に勤務する父と母の次男として生まれ65歳になりました。自宅は小金井市中町です。こちらは妻の両親が住んでいた場所で家内の両親とも今は亡くなっておりますが、緑も多く、野川公園も歩いて2、3分で行け、のんびりとした環境と、自分の大好きなホームセンターが極近い場所にあるのがとても気に入っていまます。多分これからもずっとこちらに住み続けていくと思います。又私の父は平成3年に他界しておりまして、現在、昭和3年生まれの母と2歳上の兄が小平市で暮らしております。
私は保谷小学校、ひばりが丘中学に通い、都立保谷高校を卒業した後、就職せずにプラプラとしておりましたが、昭和49年に吉祥寺東町にありました、千代田精油というガソリンスタンドに入社し30歳まで勤務しておりました。車好きが高じて就いた職業ですが、30歳が近づくにつれて、徐々に、このまま寒空の中で走り回り、手はあかぎれを作りながら、大みそか迄営業し、仕事中は立ちっばなしの職業は、いずれ体力的にキツクなるだろうし将来は不安だなぁーという思いが強くなりました。それまでは勉強が嫌いだったのですが、人生を変えるために何か資格を取得しようと考え、当時は景気の良いお客様が多かった不動産業界に転職しようと思い宅地建物取引士試験を受験する事にし、なんとか合格する事ができました。そして当時お客様でもあった不動産会社の株式会社住起の川部社長に頼み込んで、雇って頂き、転職に成功しました。5年ほど賃貸と不動産売買、建物土地の明渡し、宅地分譲や、建設、建物解体など、一通りの職種を経験し終わった頃、バブルも終焉し、会社の取引数も減ってきたころの平成4年に、社長から「完全歩合」にしたいと打診されました。自分のやりたい事と、会社の方向に違いを感じていたのと、その頃の私は、自分で開拓したお客様との取引で仲介手数料をいただいていたので、基本給がない安定しない歩合制で仕事をするなら、自分で会社を起こした方がより自由に動けるし、お客様に喜んでもらえる仕事ができるかな?と考えて退社する事をお伝えし、翌月には現在の会社を設立しました。
転職当時は幼い子供二人の世話をしていた家内に転職の話を切り出したとき、「いいんじゃない、あなたのやりたいようにやれば!!」と言い反対せず、不安な気持ちも吐露せず、それどころか「会社名は分かり易くて短いほうがいいよね」など、反対するどころか自分の背中を押してくれるような、あっけらかんとした返事が返ってきました。話をするまでは、反対されたら辞める決断が揺らぐかな? と思っていましたが、前述の言葉になんて肝の座った人なんだろう、それか、全く何も考えない人なのか、拍子抜けした事は今も良く覚えています。私たちには長男32歳と次男27歳がいます。長男は5年ほど前に当社に入社し、現在は統括マネージャーとして業務を日々こなしながらの経営者として経験を積んでおります。私は本期で代表就任30年の節目にあたり来季は長男にその席を譲り、自分は会長職となる予定です。
当ロータリークラブへの入会動機の一つとして、以前、渋沢栄一氏の伝記を読みその中で、氏の座右の銘として「人生晩晴を貴ぶ」という言葉に、自分の人生に救いを見出したからです。ご存知の方も多いと思いますが、「人は晩年が立派でありさえすれば、若いうちに多少の欠点があっても、世間はこれを許してもくれる。晩年の輝かしい社会貢献等をもって締めくくる事ができれば、若いうちの欠点失策は、帳消しにすることができるが、いかに若いうちが立派であっても、晩年がよくなければ、その人はついに芳しからぬ人で終わってしまうものである。」と著書の中で延べていました。「人生は、終わり良ければすべて良し」という訳です。
両親は、高校を卒業し、ブラブラしている自分を見て、将来にものすごく不安を感じていたと晩年は言っておりました。
また、ガソリンスタンド勤務中の12年間も、給料は全て車に注ぎ込み、実家暮らしなのに、月末にはキャッシングするなど、自分でいま思い返しても、何をやっちゃっていたんだろ!という感じです。独立してからも大きな仕事をしたいと思うことばかりを優先に考え、会社の持つ社会的意義などは考えず、会社は自分の物、的発想で運営しておりました。また家族に対しても、子供が幼い頃、言われれば子育ての手伝いこそしましたが、基本的には自分の趣味を優先し、けして夫婦協力して子育てをしていた、と言えるような事も無く、俺様オーラを漂わせ、休みが少なかった事もあり、家内一人に子供や家事を押しつけ、自分は知人達と趣味を楽しんでおりました。思い起こすと、60歳を越したあたりから、 更には年金を頂けるようになってから、特にそのような自分の良からぬ半生を思い起こし、自分のいい加減な生きざまと、今まで家族へ掛けた迷惑を思うと、申し訳ない事をした、社会に何も貢献していないなど、悩み抜くと迄は言えませんが、思い起こし反省しておりました。その頃、氏の言葉を見つけ、感動し、せめて少しだけでも、これから挽回してみようか!! という気持ちになりました。これからの晩年は有意義に穏やかに過ごして行こうと考えていたところ、伊藤会員からロータリークラブ入会のお誘いを受け、当クラブとの趣旨が自分の今の気持ちに通ずるところがあるのではないかと思い入会する決意をしました。
話は変わりますが、私の名前読みはフミヤです。漢字では文哉と書きますが、自分の年代では意外と珍しいのではないかと思います。昔、両親に聞くところによると、父が凝り性で、兄と自分の名前は、昭和30、40年代に霊感を持つ占い師として雑誌やテレビで取り上げられた藤田小女姫という方に命名してもらったと聞いております。藤田小女姫とは何ぞや!
ネットで引いてみると、岸信介、福田赳夫、松下幸之助、小佐野賢治などの政財界の大物を顧客として財を成した預言者で、日米安保条約の成立、岸信介首相の退陣、明仁親王(現・明仁上皇)の結婚、朴正煕パクチョンヒ暗殺、周恩来中国首相の死などの予言を的中させたと言われているそうです。 なんだか、たいそうな方?うさん臭い方?に命名してもらったものだなあーと思いましたが、普通なら父(祖父)の意見なども参考に考えるんじゃないかと思いますが、あいにく祖父は新潟大空襲で既に亡くなっており、息子達の将来に希望が持てるように考えた末に依頼したものだろうと思います。自分としてはちょっとその様な命名過程は今時なら考えられないなーと思いましたが、この名前は気に入っているので良かったと思います。
ここで少し弊社の概要をお伝えしたいと思います。私が代表を務めるのは株式会社アクセスと申しまして、平成4年9月に設立致しました。現在の正社員数は40名、パート、地方の業務委託者を含めると総勢75名ほどで日々業務をこなしております。会社設立当初の所在は東京都武蔵野市北町一丁目になります。当社の歴史を語るうえで、武蔵野ガラス株式会社の伊藤巌会長を語らないと始まらないと思っております。今回ロータリークラブへの入会者として推薦していただいた、武蔵野ガラス株式会社伊藤隆子社長の父上である先代の伊藤巌社長より、独立するならうちの倉庫を使っても良いぞ、無料でいいよと言われ、本当に涙の出る思いで設立直近の収入が不安定な時期2年ほど、そちらを事務所として使わせていただきまた。伊藤巌社長とはガソリンスタンド時代に知り合わせて頂いたのですが、独立開業に際して、以前伊藤社長がお使いになっていた事務机と机上に置くガラス板を「これつかえ!」と頂き、現在もそれを利用しております。また、隆子社長、先代社長奥様にも目にかけて頂き感謝しています。先代と先代奥様からは、度々私に商売の心得、人事のコツなど、事あるごとに教えていただきました。また先代を思い出すと、そのいつもニコニコしながら自分に話しかけて頂いた事を思い出します。今もお二人の命日には家内と、こんなことがあった!あんなことを言われたとお二人を偲ばせていただいております。またその他の多くのお客様にも12年ほど在籍したガソリンスタンドを通じて、巡り合わせていただいたなぁーと振り返り感謝しております。
設立当初は、建売業者へ用地紹介、地上げ、借地底地の等価交換、借地管理、物納作業や税務署との調整等のコンサルタント&実務的な仕事を多く行っていましたが、その時々に様々な不動産に関わる仕事を行なってきました。最終的に賃貸仲介とその管理業務が収入的に一番安定するなぁーと経験上わかったので、現在は地元の賃貸業務に関わること、15年ほど前からは建設現場に関わる賃貸不動産の斡旋などを主な業務として、北海道から沖縄まで、ハウスメーカーとの取引をさせていただいております。
最後に自分の活力の基になる趣味などをご紹介したいと思います。子供の頃より自動車や機械物が好きでガソリンスタンドを辞めてからの不動産業勉強時代を除き、その時々に気に入った車を乗り継いできております。15年ほど前からは憧れのオープンカーとのニ台持ちになり、以降増車が続いて、現在は仕事用を含め4台所有しています。また、少年時代はバイクに乗っておりまして、50歳を過ぎた頃より、リターンライダーとしてバイクライフを楽しんでいます。現在バイクは4台所有しており、会社用の乗用車一台を除いた、全車両は自分でメンテナンスを行い、車検も自分で車検場に持ち込んで通しています。
ここでちょっと4台の二輪紹介を行いたいと思います。ハーレーダビットソンのローライダーと、ホンダCB1100は、月一くらいで友人たちと行くツーリングによく利用しています。あとは、既に環境問題などで生産を終了しているツーストロークエンジンのカワサキマッハ750SSは、白煙を撒き散らしながら走るのと、長距離で信頼性に不安がある、乗っていてすごく疲れる、良く窃盗にあうバイクという事でほぼ観賞用になっています。それと三浦半島の浦賀にあるマンションには、大きな収納BOXを付けたスクーターを置いています。マンション近くの久里浜港からは、房総金谷とを結ぶ東京湾フェリーが就航していて、30分ほどのクルーズで房総半島に遊びに行けるのですごく楽しい立地です。逗子や葉山もいいんですが、あの辺りはいつも混んでいるし、三浦半島は狭いので、以外に早く行き飽きてしまいます。その点房総半島も含めると行動範囲は広く見どころが満載です。
それと25年ほど前からボートに乗っています。最初は23フィートボートから始まり、現在はマンション下に32フィートのコンパーチブルを預かってもらい海を楽しんでいます。ただ、近年は歳のせいもありだんだん海に出るのも億劫になり、ここ何シーズンかは真夏だけの海水浴利用オンリーとなっています。ここ2シーズンは中止していますが、社員も海遊びを楽しみにしており、同じマリーナのボートオーナーさん数艇で、シーボニア、富浦、館山湾、大島、新島などの海のきれいなところで海水浴や上陸してのバーベキューは楽しく毎年夏が来るのが待ち遠しいです。お友達のボートオーナーさん達は同年代が多く、職種も様々ですが、いつも仲良く奥様づれで、私たちもそうなのですが、この歳でも水着になってボートから海に飛び込んだり、少し先の浜まで泳いで上陸したりと、若さ全開で遊んでおられます。やはり気持ちが若く、行動的な方たちは、外見や服装など、若々しいなーと思いいつも拝見しております。
それと20歳から始めたスキーは今も毎年20日は滑り込んでおります。もしかしたら、ワンシーズンでその歳で、そんなに滑るのか? と思われる方もおられると思いますが、昔とは違いリフト営業開始から昼ちょっと過ぎまで滑り、後はまったりと温泉に入り、地場の美味しいものを食べたりと、その時を楽しんでいます。いつの日からか、その方が優先事項になっています。又、スキーを始めた頃の基礎スキークラブのメンバーとのスキー合宿や、学生時代の友人と行く、コブを滑るモーグルスキーを楽しんでいます。モーグルではエアープレイは怖いのでしませんが、それでも上がるころには、膝や腰がガクガクになり、シーズン初めですと翌日には筋肉痛のおまけが加わります。若い時からの同好の仲間達と歳を重ね、長い期間、同じ趣味で定期的に交流すると、年に数回程度ですが、会うときはいつもワクワクしてしまいます。
最後になんですが、最近ハマり出した事があります。公道上で安全運転に心がける代わりに、サーキットで全開走行をしてみたいと思っておりましたが、とうとう昨年レンタルレーシングカーでサーキット走行を体験してしまいました。そして自分の車でサーキットを走りたいという思いが芽生え始め、昨年、1998年製のマツダロードスター1600ccのマニュアルシフト車を購入しました。車両はヤフオクで安〜くノーマル状態の車両を購入し、足回りや、エンジン周り、ボディ強化などの改修作業を同好の友人たちと自ら行いましたが、その時間がとても楽しかったです。今はYouTubeやネットのDIYサイトで簡単に情報をとれる時代で、楽しみも倍増します。そんな中でマツダはさすが!と思った事があります。二十数年前の車両ですが、純正部品の殆どは欠品がなく、ネット注文すれば2日後には手元に届きます。他のメーカーさんは旧社の部品供給がなしに等しいという話は良く聞きます。マツダの旧車への部品供給体制は脱帽します。車を文化として捉え、その文化を絶やさないという考えのもと、車両を製造したメーカーとしての責任を強く感じます。この分野に興味がある者として、素晴らしい企業精神だなぁーと本当に感心してしまいます。まぁ、部品のお値段は保管期間=コスト増しなので当初のお値段の3倍はしますが致し方ないと思います。
最後に。自分がこのクラブの趣旨に沿う人間なのかまだわかりませんが、これから活動を通して、その意義を探りながら、クラブの発展と社会奉仕の精神が探求できるように心がけていきたいと思います。
今回のスピーチで私の事については一通り説明できたと思いますので、特に趣味の分野でご興味のある方はお気軽にお声がけしていただければうれしいです。また皆様方には、今後のご指導、宜しくお願いいたします。ご清聴誠にありがとうございました。