「会員卓話」(2022/3/31)
齋藤興一会員
〇小学校~中学校時代
宿題そっちのけで遊び放題
人の家のブロック塀に登ったり、近所にあった駄菓子屋で爆竹や水風船を買って道路で遊んだりして、近所の方々に大変迷惑をお掛けした。
玉川上水でザリガニ釣りして、服のまま川に入って泥だらけになり、いつもは居ない筈の時間に父がいてかなり怒鳴られたことを覚えています。小学3年生から、今は無いですが横河の体操クラブに入って器械体操を習っていました。入ったきっかけは、友達が休み時間に校庭の砂場でバク転を見せてくれたのがきっかけです。初めて出た大会では、緊張から競技の順番を間違えたり、眼鏡をはずしていたので、白線がよく分からずにオーバーしてしまったりで、最初で最後の大会が6.37という残念な点数におわりました。その頃は10点が満点でした
〇高校時代
東京工業高校の建築科に無事に入学が出来ました、合格の連絡が入ったときは、先生と万歳した記憶があります。後から聞きましたが、担任の先生は無理かも知れないと心の中で思っていたそうです。高校2年に自動二輪の中型免許を取ってからは、毎日のように日野に住んでる友達と峠道を走ったり公道レースを見物したり、休みになると富士山までツーリングしたりしていました。
高校3年には、車の免許を取って斎藤工務店と名前の入ったライトバンで、この時もほぼ毎日ドライブしていました。高校2年から就職コースに進んでいたので、当然大学の入学は無く、就職先を学校に寄せられた求人募集から何社か選んで担任に持っていきました。でも担任の先生から、もうお前の行くところは決まってると言われました。その会社に担任の大学の同期が人事部長をしていて、入社の面接と試験は形だけで無事に就職出来ました。私の高校から毎年1名入社していました。
〇仕事について
会社に入ってすぐに西新宿の現場に配属され、朝は6時に現場事務所に行き、主任や所長が来る前に事務所の掃除をして日中は、何もわかってない小僧でしたので所長や主任から言われたことを職人さんに伝えるのですが、当然言うことを聞いてくれず、仕事を多少覚えコミュニケーションが取れるようになるまでは悔しい思いをしたのを覚えています。事務処理など終わり帰るのは毎日12時頃でした。毎年会社には、大学生1名・専門学生1名・高校生1名が入社しましたが、1年後には高卒生が残ればいい方でした。みんな、「思っていたのと違う」・「きついから」などの理由で辞めていきましたが幸い、私は最初から何も考えておらず、どんな会社に入っても最初は、こんなもんだろうと思っていたので辞めずにすみました。20才の時に、会社の社長から目黒区の大岡山に当時のイナックスと共同でリフォーム会社を作るからエンジニアとして行ってこいと言われ、会社から3名(店長が設計部の人、アドバイザーが私の1つ後輩でまだ入社1年目、私 入社2年目)が行くことになりました。現場監督からいきなりリフォーム会社なので、なにがなんやら分からずイナックスのアドバイザーに聞きながら、チラシの作成、ポスティング、町の物件調査、飛び込み営業などいろいろやりました。営業などやったこともなく、いきなり飛び込みですから最初は全然、話が出来ずにお客様に「大丈夫か?こいつは」みたいな目で見られていたと思います。1年がたった頃には、ずいぶんマシになって来ていたと自分では、その時は思っていましたが今考えると全然出来ていなかったと感じます。
21才の時に実家で家族会議が開かれ父親から、斎藤工務店が倒産する可能性があることを聞き、「これからどの様にするか」、「会社を倒産させるのか」などを話し合いました。話し合いの結果、どうなるか判らないが、2人でもう一度頑張って、盛り返してみようとなり、斎藤工務店に入社。その当時の父親のやる気はすごく感じました。やはり親子ですから、仕事のことでよくぶつかり合いました、今思うと私の考えが全部とは言いませんが、ほぼ間違っていたと父が亡くなってから気が付きました。斎藤工務店に来てからは、新築(木造、RC造、SRC造)、増改築、リフォームなど様々な仕事を施工しています。中には古いマンションで、雨水の漏水があり原因が分かるまで2年ほど掛かった現場や外装工事では、その年の台風が多くて工程通りに進まなかった現場などいろいろありました。まったく同じ現場はほとんどありませんので、今までの経験から一つずつ問題を解決し施工する必要があります。本当に経験はお金では買えないということが良くわかります。何事も出来ないと最初から決めるのではなく、とにかくやってみることが大事だと思い、経験を積んでいます。
〇ロータリーに入って
32才の時に交通安全協会に入会。自分でも地域に小さいころご迷惑をお掛けしていたので、少しでも恩返しできればと思い活動しました。そこで飯村さんと井野さんにお会いしてロータリーの話を聞き、お二人が推薦者になって東京武蔵野中央ロータリークラブに入会させていただきました。入会するにあたり、現会員全員から反対が無ければ入会できると聞き、心配をしていましたが無事入会できました。ありがとうございます。でも多分皆さんからは、「誰だ、こいつは」と思われていたんではないかと思っています。入会して、はじめは親睦委員会に所属することになり、まずは顔と名前を覚えなければと必死でした。初めての名刺交換の時、同じ会員に2回名刺を渡そうとしてしまい怒られたのを覚えています。同じ過ちをおかさないよう、時間は掛かりましたがしっかりと覚えました。SAAと親睦を掛け持ちしたこともあり、その時は齋藤君の顔を見るとなんか集金あったかなって思っちゃうよと言われるぐらい受付にずっと居たのを思い出します。どなたに言われたか定かではないですが、ロータリーでは、「イエス」か「はい」しか言ってはいけないと聞きましたので、色々な委員や委員長をさせていただき、大変学ばせていただきました。工務店だけやっていては本当に経験のできないことを教わりました。ありがとうございます。
地区に出るとまた和が広がると飯村さんにお聞きしてから、他地区の研修会、他の地区の地区大会、他クラブ例会などいろいろと飯村さんに連れっててもらい、本当にたくさんの方々と知り合うことができ、学ぶことが出来ました。(台湾の姉妹地区大会、分区内ガバナー補佐クラブ訪問、ワセダRC例会参加、RAC年次大会、米山梅吉記念館、米山奨学事業など)
他クラブの例会に出席するのも非常に楽しかったです。各クラブのカラーが出ていますし、それぞれの例会運営なども工夫もされていることが良くわかりました。ロータリーに入っていなければ、今の私の人としての社会性や感性を成長させることは、出来なかったと思います。これからもよろしくお願いいたします。